恋愛は楽しい、だけど、時々背中を押してほしくなる…。
世の中に楽しいことはたくさんある。推し活・趣味・仕事・友人との食事・家族との旅行…。恋愛もその中の一つだ。恋愛は楽しい。誰かを好きになり、愛し、愛した人に愛され、日々の活力や潤いにも直結する。感情の起伏も、いつもと違う自分に出会える努力やときめきも、何ものにも代えがたい。
だけど。
全てがうまく行くわけではないし、いいことばかりでもない。苦しい思いをたくさんするし、自分の中のさまざまな葛藤と、相手への心配りを天秤にかけることだってある。だから時々背中を押してほしい。
「この恋愛は間違っていない」と「好きにしろ」と。たった一度見聞きした恋愛名言が、私の恋愛する上での座右の銘になるかもしれない。
恋がもっと楽しくなる!心が温かくなる恋愛名言35選
人生の中でも、多くの人が経験する恋愛。恋愛は、いいことばかりではありませんが、普段よりもハッピーな気持ちで過ごせることも事実ですよね。恋愛は感情の起伏が激しくなりがちですが、本来なら楽しめるもの。
ここでは、片思い・両思い編からアニメや漫画の恋愛名言まで、これから恋愛を楽しめるようになる恋愛名言を35種類ご紹介します。
恋愛名言【片思い編】
恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを意志だと思う。(太宰治)
恋愛は、チャンスだとよく言われます。「チャンスを掴みに行くには行動(出会いや自分磨き)しかない」とも聞いたことがある人は多いでしょう。しかし、太宰治からすると恋愛は意志そのもの。どんなに恋愛に至るチャンスが到来しても、自分にその気がなければ、相手に好きになってもらうため自分磨きをすることもなく、恋愛に発展しないでしょう。
恋愛は急に訪れるチャンスや、転がっているきっかけなどではなく、意志のもと行われているのだから自信を持っていいかもしれません。
誰も認めてくれなくったっていいの。「わたしっていいなぁ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。そうすれば、恋は豊かよ。そういう自分を、ある人のために、無条件に、惜しげもなく投げ出すのよ。(岡本敏子)
芸術家の岡本太郎のパートナーであり、岡本太郎美術館初代館長だった岡本敏子の言葉です。恋愛ではついつい相手のことを重視し、相手のことを優先してしまいがち、そしてそれを同じだけ求めてしまうこともあるでしょう。しかし、「わたしっていいなぁ!」と自分を抱きしめて大事にすることがまずは大切。誰かに認めてもらわなくても、誰かが抱きしめてくれなくてもいいのです。
愛せなければ通過せよ(ニーチェ)
ドイツの哲学者であり、数多くの名言を残したニーチェの言葉です。ニーチェの著書1部から4部で構成された「ツァラトゥストラ」の中の一節でありさまざまな受け取り方があります。
自分と価値観が合わない人に、人生の中で多く出会います。恋愛に限らずどんなに好きでも全てを愛し、許すとは難しいこと。愛せないのであれば、触るでも中途半端にするでもなく通過すべき、通り過ぎて我関せずであることが一番穏やかなのだ、と説いているのです。
恋をしなさい。好きと言えないなんてケチな根性よ(宇野千代)
宇野千代は大正・昭和・平成と活躍した日本の小説家で、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴があることでも知られています。彼女の恋愛のスタイルに対しては賛否ありますが、そのパッションは誰もが参考としていいものでしょう。彼女のような恋愛に奔放な女性に対し世間の目は厳しく、また意思表示すらも難しかった時代を生き「恋をして、好きと言えない時代なんて」と言っていたのですから、「好き」を表現できる現代で臆病になる必要はないのです。
一目惚れして欲しい。会うたびに何度でも。(ルミネ広告より)
発表されるたびに話題になるルミネの広告。片思いをしている人に振り向いてほしい、「あ、今日なんか雰囲気違う」と気づいてほしい、そんな気持ちが込められたかのような一言に、多くの共感が寄せられた恋愛名言です。好きな人にはずっと好きでいてほしい、毎回惚れ直してほしい、飽きないでいてほしい、片思いを経験した人であれば一度は思ったことがあるでしょう。自分磨きの大きな原動力になります。
片思いも立派な恋愛なんだ。自分が片思いしている。そう思っているときの方が強烈だ。つまり、相思相愛、おめでたいのが恋愛ではなくて、片思いが恋愛だといえる(岡本太郎)
先ほど紹介した岡本敏子のパートナー、芸術家の岡本太郎も多くの名言を残しています。片思いは、見方を変えてしまえば独りよがりで、勝手な気持ちの押し付けだという人も少なくありません。しかし、自分が片思いしているとき、相手のことはとてもよく見え、何枚もの恋愛フィルターがかかります。結婚や両思いでは見えない、良い部分が見えていて一喜一憂できる片思いこそ、真の恋愛なのではないかと考えているのです。
愛する喜びは、愛される喜びよりも、はるかに優るものである。(トーマス・フラー)
イギリスの聖職者であり、哲学者でもあったトーマス・フラーの言葉です。日本でも「愛される方が幸せ」「愛する方が幸せ」など、時々SNSでも話題になります。片思いのときは特に相手のことを考えることで、苦しい思いをする機会が多いでしょう。また失恋が既に決まってしまっていることもあり、片思いは苦しいことばかりと感じるかもしれません。愛されることは幸せですが、愛することができる・苦しくなるほど愛せることは、とても幸せなことでもあるのでしょう。
愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。(オードリー・ヘップバーン)
SNSでも「言うだけなら誰でもできる、実際行動してくれる人を大事にした方がいい」というのは、恋愛を発信している人たちから言われています。恋愛に限らず、思っているだけでは人に気持ちが伝わることはありません。また、行動せずに察しろと言うのも、超人でなければ難しいでしょう。愛の言葉はいくらでも簡単に言うことができます。片思い、好きな人がいる、恋人になりたいのなら、言葉だけではなく行動とともに伝えることが重要なのです。
大恋愛も、耐え忍ぶことが大切です。(ココ・シャネル)
多くの男性たちと戦い、人生の中で愛した男性たちとは大恋愛をしつつも、“生涯独身”だったココ・シャネル。振り返ればあれは大恋愛だったのだと思うことも、渦中はそんなことは思う暇もないくらい必死になっていることでしょう。
現代でも、身分違い・遠距離・国際結婚など、さまざまな恋愛があります。全く苦労しない恋愛はいつの時代にもありえないでしょう。今は耐えるときと耐え忍び、困難に対して真摯に向き合い、自分と相手を大事にしていくことが大恋愛につながります。
愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ(ヘルマン・ヘッセ)
トーマス・フラーと同じように、愛されるよりも愛することの方が実は幸福、片思いはとても幸せなことなのではないかと説いているのはドイツの作家、ヘルマン・ヘッセです。愛することは苦しく感じることがある一方、勝手に解釈して幸せにもなれる状態です。
「目があったかも!」「今日は昨日より、話せたかも」など、幸せと感じる瞬間を日々増やせるでしょう。愛されることはもちろん幸せですが、その実、愛せる自分の心の余裕や愛しく思える柔らかな心があること自体が、幸福なのかもしれません。
愛されることより愛することを。理解されることより理解することを。(マザー・テレサ)
貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯を捧げノーベル平和賞まで受賞したマザー・テレサは、修道女として多くの傷ついた兵士や人々に無償の愛で接し、彼らの人生に寄り添いました。
片思いをしていると「なんであの人?」と言われることもあるでしょう。自分にとっては最高でも他の人からはそうではないこともあって当然です。でも、多くから愛されるより、誰より自分が相手を愛し理解することができればそれで良いのです。
恋をしている時に、思慮分別に従って、しっかりとしているということは、およそ不可能なことである。(フランシス・べ一コン)
「恋は盲目」とはよく言いますが、アイルランド生まれのイギリス人画家であるフランシス・ベーコンも同じように恋愛名言として残しています。恋をしているときは、自分が思っている以上に無敵です。
恋をしているときに、普段と変わらず感情も昂ることなく思慮分別のある行動をするのはほぼ不可能、好きへまっすぐになれるのはとても素敵なことなのです。
恋愛名言【両思い・カップル】
愛は目で見るものではなく、心で見るもの(ウィリアム・シェイクスピア)
「ロミオとジュリエット」をはじめとする戯曲で知られる、ウィリアム・シェイクスピア。シェイクスピアの代表的人気喜劇「夏の夜の夢」の中の一節です。中身を知れば知るほどどんどん好きになる、というのは恋愛でよくあること。見た目は確かに大事ですが、それだけが全てではありません。目に見えるものだけでなく、相手自身を愛しているかの方が大切なのです。
女性が綺麗になる方法は二つあります。「いい恋をすること」と「悪い恋をやめてしまうこと」です(浜尾朱美)
恋をすると「きれいになりたい」「かわいくなりたい」という欲が高まります。良い恋をして、自己肯定感も高く、一緒にいて楽しいと感じられるパートナーといることは、女性にとってポジティブなエネルギーです。いつの時代にも「ダメ男に引っ掛かってしまう」「男運がない」と言われる女性はいることでしょう。悪い縁を断ち切り、ポジティブな恋愛をすることがきれいになる1番の方法なのだと、教えてくれます。
男女が愛し合う。それはまず、いつも理解し合うことから成立するものだと思うの(オードリー・ヘップバーン)
男と女は違う生き物です。男女に限らず、愛し合ってパートナーとなる人間は違う環境で育ち、さまざまな人に囲まれて育った価値観も考え方も全て違う他人。お互いのすれ違いをお互いに理解せず、悲しい結果にすることは簡単です。しかし理解し許し、お互いに向き合うことこそ真の愛が生まれる瞬間なのではと、オードリー・ヘップバーンは考えているのでしょう。
ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ(ウィリアム・シェイクスピア)
熱烈な恋愛はとても楽しいものです。「こんなに大好きでどうしよう!」「大好きすぎる!」となるのも良いですが、最初に加速してしまった恋心は、それ以上加速できずどんどん減速してしまうことも少なくありません。「ここは直してほしいけど、まあいいか」「好きだけどここは譲れないよ」とほどほどに相手のことを好きでいる時間が長ければ長いほど、穏やかでお互いを尊重した恋愛ができるでしょう。
恋人同士のけんかは、恋の更新である。(テレンティウス)
古代ローマの劇作家プビリウス・テレンティウス・アフェルが残した恋愛名言は、恋人であれば誰もがぶつかり悩む喧嘩について。恋人になれば喧嘩やすれ違い、意見の食い違いは往々にしてあるでしょう。しかし喧嘩は、本音を言えて話し合おうとする姿勢があるからこそ生まれるものです。恋人同士は喧嘩を重ねれば重ねるほど、愛も深まり更新されていくのだとポジティブに受け止められる名言です。
愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じることよ(マリリン・モンロー)
その辛い生い立ちからは想像のできないセクシーさとキュートさで一世を風靡した女優、マリリン・モンローは、愛に飢えた人であったとされています。愛を知らない彼女が見つけた愛の形は、信頼だったのでしょう。心を開く、相手を完全に信頼し、言葉や行動にして、まっすぐに伝えることが愛を伝える、愛だと実感できる瞬間を増やすためのポイントなのです。
嫌な女も好きな女もあり、その好きな女にも嫌なところがあって、その興味を持っている全ての女の中で、一番あなたが好きだと云われてこそ、あなたは本当に愛されているんじゃありませんか?(夏目漱石)
好きな人と付き合えたはずなのに、自信がなくいつまでも悩んでしまう人もいるでしょう。
嫌いな人の中にも「まあこういうところはいいやつなんだけど」好きな人の中にも「でもここはちょっとなあ」といった一面があります。さまざまな人がいて、異性関係なく面白い人やこれからも付き合い続けたい人間関係があるでしょう。しかしその中でも一番、自分が特別で好きだと言われているのですから、自分が一番なのだと自信を持っていいのです。
私たちが理解し合うためには、互いに似た部分がなくてはならないが、愛し合うためには、互いに違った部分がなくてはならないのである(ポール・ジェラルディ)
「似た人と付き合うといい」「凸凹の方がいい」と、SNSでも話題になりますよね。フランスの詩人であり劇作家でもあるポール・ジェラルディは、両方が必要なのだと説いています。似ているところが多いと嬉しいですが、お互いちょっと違っているからこそ面白く新たなものが生まれます。違うことも似ていることもどちらも大切なのです。
恋愛名言【漫画・アニメ編】
妥協した愛に意味はない(おそ松さん)
端的ですが、恋愛の本質でもあります。恋愛や愛ににおいては、妥協しても納得できる結果は生まれないでしょう。愛とは、目を背けたいことから目を背けず、まっすぐに向き合ってこそ深まりさらに良いものとなっていきます。喧嘩や話し合いを恐れているうちは、どこか燻った感情を持ったままかもしれません。
誰にでも優しいって やっぱり無責任だからね(化物語)
誰にでも優しい人は魅力的に見えるだけでなく、前提としてとても大切なことですよね。しかし恋人になることを考えると、その優しさは無責任に感じることも少なくありません。誰にでも優しいということは、誰にでも自分が特別だと思わせてしまう可能性があります。その気持ちや行動に誰も責任はとれず、誰も選べないことにつながります。優しいことはいいことですが、時に罪深く、無責任なのです。
失った物ばかり数えるな(ONE PIECE)
誰かを好きになる、誰かに好きになってもらうことは、奇跡のような出来事です。時間・お金・気持ちの余裕はもちろん、お付き合いをしていたのであればもっと多くの失ったものに目がいくでしょう。しかし失ったものは戻ってきません。数えても、虚しさや悲しみが募り、どんどんと気持ちが落ち込むだけです。数えず、目で追わず自分がこれから掴めるもの・手に入れられる新たな恋の予感を楽しみにするべきなのです。
愛っていうのは自分よりほかの誰かを大切に思うことだよ。(アナと雪の女王)
愛とは何か、は永遠のテーマです。ディズニー映画『アナと雪の女王』のなかでも、多くの大人たちにも刺さる恋愛名言です。恋愛に限らず、家族・友人・特別な存在が多ければ多いほど、それは愛に溢れた人生だと言えるでしょう。愛とは目に見えづらいものばかり感じずらいものばかりです。それでも誰かのことを大事に思えるのであれあっちゃそれらは愛なのでしょう。
コイツは誰より俺を理解し、俺は誰よりコイツを理解している(るろうに剣心)
なんとなくうまくいっている夫婦やカップルに似た雰囲気を感じることが多々あります。「るろうに剣心」のセリフにあるように「コイツは誰より俺を理解し、俺は誰よりコイツを理解している」ということかもしれません。側から見たら「大丈夫?」と思うようなことであっても、自信をもって答えられるほどお互いに信頼していて、それらは周りから見えなくてもいいのかもしれません。
だってこれは私の恋だもの 私が幸せにならなくちゃ意味ないわ(五等分の花嫁)
誰の人生でもなく、自分が主役の人生、自分の恋愛です。誰かに託すことも、任ることもできません。自分で幸せにならなければ意味がないのです。「こうじゃなかったら」「ああじゃなかったら」と思うことも少なくないでしょう。しかし、嘆いてもどうにもならないからこそ、自分の思った通りに相手を敬い恋愛を楽しむこともできます。恋愛の主役は相手ではなく自分自身であることを忘れてはいけません。
この世界に 運命なんてない 運命の相手なんてのもない 占いに頼るな 必要なのは頭脳だ 運命が君を導くなんて事は 決してない 真実の愛を求めるならば 考え続けるんだ(かぐや様は告らせたい)
「かぐや様は告らせたい」の中でも衝撃的なセリフだと言われているのが、この恋愛名言です。
女性は特に占いが好きな人も多く、恋愛運や相性を占う人も多いでしょう。占いの結果によっては信じたくなりますが、占いで全てがうまくいくなんてことはありません。恋愛は見方を変えれば相手のことを考え、自分に必要なことを考え、どうすべきなのか考える頭脳戦なのです。
俺、付き合ってる人に嫌いな所より 好きな所が一つでも多ければ 奇跡ってことでいいと思うんだよな(まいりました、先輩)
付き合っている時間が長くなってくると、つい嫌なところや直してほしいところが募ってしまいがちです。そしてそれらの方がよく目につくようになってしまうでしょう。
嫌いなところより、好きなところが一つでも多ければそれは奇跡と呼んでもいいでしょう。何億もいる人たちの中で、関わりがある何万人もの中で、好きなところが一つでも多いのであればそれは特別で、奇跡的な関係性です。
好意をもってもらったことは絶対 嬉しいはずだから 好きになったことは後悔しないであげて(まいりました、先輩)
恋は残酷なもので、絶対に叶わない恋をしている人も少なくありません。恋人がいる・既婚者・国際的な部分・身分違いなど多くの要因がありますが、叶わない恋は「好きにならなければよかった」と後悔してしまいがち。
しかし応えられないとしても、好意を持ってもらった、好意を向けられていこと自体は嫌ではないはずです。「叶わなかったけど、好きになる気持ちが知れてよかった」と、後悔せずに新たな恋愛を楽しめるようになれる恋愛名言です。
だってそれが “恋” だから ・・・! 好きな人のことを もっと知りたいって思うことはとても自然なことよ それを気にする必要はないわ(あせとせっけん)
恋をすると、さまざまな葛藤が生まれますよね。試行錯誤することもあれば「もっと知りたいけどいいのかな」「しつこいかな…」と不安になることもあるでしょう。それらは全て、恋だから。相手のことをもっと知りたい、自分のことも知ってほしいと感じることは悪いことではありません。恋は、それら複雑な気持ちを感ジルことが多いからこそ人として成長できるのかもしれません。
恋愛名言【英語編】
You never know, maybe that’s the day she has a date with destiny. And it’s best to be as pretty as possible for destiny.(ココ・シャネル)
「その日、もしかしたら運命の人に出会えるかもしれない。その運命のためにも、できるだけかわいくあるべき」
どんなときでもオシャレを欠かさなかったココシャネル。どんなに忙しくても、どんな場面でどんな人に出会うかわかりません。そこには隠れた運命があるかも。恋愛であっても仕事であっても、チャンスを手にするにはまず身だしなみから、ということをシャネル自ら体現した言葉です。
You get one little bump in the road and give up? (映画『メリーに首ったけ』より)
「ちょっと障害があるからって諦めるわけ?」
恋愛に障害はつきものかもしれません。それらは超えられないものから、頑張れば超えられるものまでさまざまです。障害があるからと諦めることは簡単でしょう。しかし「障害がある方が燃える」という言葉があるように、障害の一つ二つで諦められるような恋心なのでしょうか?弱気になったときに思い出してみてください。
Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.(サン=テグジュペリ)
「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」
「星の王子さま」でお馴染みの作家サン=テグジュペリの恋愛名言です。「愛」といえば、ときめくことばかりに向いてしまいがちですが、実はその逆で共に同じ方向を見つめお互いの凸凹をお互いにカバーしながら目指していくことを愛と呼ぶのでしょう。愛を育てる家庭となればなおさら、ときめくよりもお互いの歩幅と方向性が大事になります。
I’m done. I don’t need anything more out of life. I have you, and that’s enough.(アレッサンドラ・トーレ)
「これで終わり。これ以上人生で必要なものはない。私にはあなたがいるし、それで十分だ。」
ついつい、あれもこれもと欲張りになってしまうことは恋愛でも結婚でも同じでしょう。しかし実はもうすでに、大事なものを手に入れているかもしれません。大事なのは、あなたがいて自分がいてそこに愛があり、お互いに人生を共に歩めること。多くを望んでしまいがちなときに思い出しておきたい名言です。
Mr. Right is coming. But he’s in Africa and he’s walking.(オプラ・ウィンフリー)
「運命の人は必ず現れる。ただ彼は今頃アフリカあたりにいて、しかも徒歩でこっちに向かっているにちがいないわ。」
まだ恋愛をする気がない、なんとなく恋愛は今いいかな、というときや、彼氏は欲しいけどなんだかうまくいかない…なんてときに心に留めておきたい名言です。運命は赤い糸で結ばれていると言いますが、運命の人や一気に人生が動く瞬間は必ずやってきます。いまはまだ、そのときではないだけなのです。
座右の銘にしたい名言を持っておこう
「座右の銘はなんですか?」と聞かれたときに、すぐに答えられる人は少ないでしょう。SNS時代、ロールモデルも少なく、言葉や会話も減ってきている現代で人生を豊かにする、人生の指針となる座右の銘は、少々古臭く感じるかもしれません。
しかし、恋愛をはじめとして「背中を押してほしい瞬間」は、日々訪れます。小さなことからきなことまでさまざまですが、そんな瞬間に背中を押してくれるのが座右の銘です。
恋愛名言として広まっている名言は、恋愛だけでなくさまざまな場面で背中を押し、一歩踏み出す勇気をくれるでしょう。
ふとした名言が、私を救ってくれることもあるから
どこかで聞いたことのある言葉、どこかで読んだことのある名言、何かで知った些細な一言。何気ない瞬間の自分を救ってくれる言葉は自分の人生に大きく影響します。
特に恋愛は誰も答えを持っておらず、○か×かだけの世界ではなくて、移ろいやすく脆い人間の感情の上で成り立っています。「この人のこと好きでいていいのか」「好きな人へどうアプローチするべきなの?」と、恋愛をすればさまざまな答えのない疑問が浮かんでくるでしょう。
そんなとき、紹介した35個の恋愛名言が背中を押してくれるかもしれません。素敵な恋愛をするには多くの素敵な恋愛名言に触れておくと良いでしょう。