

1日に約3万5千回も決断しているなんて、脳みそが優秀すぎる

人は1日に約3万5千回も決断をしているといわれているが、全く意識したことがない。
仕事で取捨選択をしたり決断すること、家族や友人とのコミュニケーションで言葉を選ぶこと、今夜何を食べるか、どこへ行くか考えることはあっても、3万5千回も決断している実感はまるでない。
多くの決断の中で、選ぶことではなく、選ばないという行為も、また一つの決断なんだと思う。
「決断に疲れるから、人はルーティン化する」「一日のスケジュールを決めておく」といった話も聞くけれど、選択や決断することに疲れると感じる時は、大抵、人の感情に目を向けて気を遣っている時だと思う。
人を傷つけないための選択

「自分がこの選択をすることによって、相手に負担をかけるのではないか?」
「自分がこの選択をすることによって、彼を傷つけるのではないか?」
「自分がこの選択をすることによって、彼女はどう思うだろう?」
人の気持ちを想像することは重要なことだけれど、繊細が故に、自分らしい選択・決断という意味を見失ってしまうことがある。
自分のために選択していないから、ストレスが溜まり、疲れてしまう。
でも、自分のことだけ考えて選択してしまったら、その後のことを想像して、またため息が漏れる。
そんな日々を繰り返しながら、私たちは大人になったことを実感する。
選ばないことも、自分のためには大切な選択

自分のためにも相手のためにも、選択をしない。現状のまま続けるということも、一つの選択だと思う。
誰かのために生きているわけではないけれど、周囲の人がいなければ自分は生きていけないのだから。
周囲の人の気持ちを考え、でもそこに意識を取られすぎず、自分らしい選択ができるようになれたらいい。
「〜しなきゃいけない」「〜でないといけない」なんてことはないって信じているけれど、いつからか、そこに捉われてしまい、がんじがらめになってしまう。
そんな自分も、時には労わって。削られる選択の人生から少し離れて、自分の幸せを補充しよう。
それもきっと、周囲の誰かのためになるから。