友だちの境界線って難しい

Edit by tomoda

“一緒にいると疲れる関係”

私は、誰とでもそれなりに仲良くできる。周りから見れば「友だち」に見える関係だって多い。

「〇〇ちゃんと、仲が良いよね!」
「友だちが多くて羨ましい!」

そんな言葉をかけてもらえることもある。
けれど、本当の意味で心を許している友だちはどれくらいいるだろうか。
片手に収まるほどで事足りてしまうかもしれない。

繊細だからなのか、自己肯定感が低いからなのか、私は相手の表情や雰囲気を過剰に深読みしすぎてしまう。

どうしたって表面的なつきあいになってしまい、心が疲弊することがほとんどだ。

「本当に仲がいいと思ってくれているの?」
「その言葉、裏はないかな?」

壁を作ってしまうのは、いつだって私の心なのだ。

繊細な人間の安全圏はとても狭い

心から安心できる相手はそうそう見つからない。

だからこそ、少人数の“本当に信頼できる人”だけで世界を完結させてしまうのはもったいない気もする。だけど、無理をして広げた関係の中で疲れ果てる自分も想像できる。

繊細さゆえの“安全圏の狭さ”に葛藤する。
「このままでいいの?」と問いかけつつも、自分の心に嘘をつけない。

結局は、無理せず心が落ち着く場所を選んでしまうのだ。

狭いけど深い世界で生きていく

大勢の友だちを持つ人生も素敵だと思う。

でも、世界がどれほど狭くても、そこに心から許せる相手が一人でもいるのは、実はすごい奇跡なのかもしれない。

相手の気持ちを思いやり、優しく寄り添いながら、たった一つでも“本物の居場所”を見つけられたなら、それは十分人生が豊かな証なのではないだろうか。

繊細さは、きっと深い信頼を育むための土壌でもある。無理して世界を広げなくても、自分らしくいられる相手を大切にすればいい。

誰かと心を通わせられる瞬間は、数よりも重みで自分の人生を支えてくれるはず。

tomoda

Chief Editor

メディアディレクター・編集者。恋愛も仕事もがんばるフリーランス。