

結婚は嫌なところの探し合い…?

最近見た映画の中で、こんなセリフがあった。
「お互いの好きなところを発見し合うのが恋愛。嫌いなところを見つけ合うのが結婚」
なんだか胸にずしんときた。
思い当たる節が、いくつもある。
恋をしていた頃の私は、相手の良いところばかりを見ていた。
優しいところ、話が面白いところ、少し不器用なところさえも可愛いと思えた。
一緒にいるだけで満たされたし、未来を信じることができた。
でも、結婚をしてからはどうだっただろう。
彼の“可愛かった不器用さ”は“だらしなさ”に変わり、
“面白い会話”は“聞いてくれない不満”に変わっていった。
好きだけじゃ、暮らしてはいけない

生活を共にするというのは、思っていた以上に繊細で現実的だった。
朝の歯磨きの音、片づけられない洗濯物、食べ方のクセ、
ちょっとしたひと言に傷つき、無言の空気に戸惑う。
そんな小さな「気になる」が、積もってしまう日々。
「こんなはずじゃなかったのに」
「昔はもっと優しかったのに」
そう思えば思うほど、昔の“好きだった彼”と、今の彼の間に距離が生まれていった。
相手の「欠点」にばかり目がいくようになったのは、
きっと“現実”という名の暮らしの中で、心の余裕が少しずつ削られていったからだ。
愛することと、許すことは違うと思っていた

「欠点まで愛せるのが結婚」なんて言葉を、どこかで聞いたことがある。
でも、正直に言えば、それはきれいごとのようにも感じていた。
私は、許せなかった。
そして、自分にも余裕がなかった。
彼の欠点を受け入れられない自分に罪悪感を抱きながら、
その感情をうまく言葉にできないまま、すれ違いが続いた。
結局、私たちはうまくいかなかった。
「嫌なところ」があまりにも積もりすぎて、
「好きだった気持ち」が、どこにあるのか分からなくなってしまった。
それでも、恋も結婚も、もう一度信じたい

それでも今、振り返って思うのは、
あの失敗が“自分を知る”きっかけになったということ。
人を愛することの難しさも、
暮らしの中で心を通わせることの繊細さも、
すべて、あの結婚が教えてくれた。
「結婚=欠点を受け入れること」ではないと思う。
ただ、欠点に触れたときにこそ、
本当の意味で相手と向き合う覚悟が試されるのかもしれない。
そしてそれは、相手にだけでなく、自分自身にも向けるまなざしなんだと今は思う。
完璧じゃない自分も、
たくさん間違える自分も、
少しずつでも許してあげられるようになったとき、人のことも少しずつ許せるようになるのかもしれない。