

休むたびに頭を支配する “申し訳なさ”

体調を崩して「今日は休みます」と連絡を入れる瞬間、胸の奥がぎゅっと縮む。
上司も同僚も「無理しないでね」と優しく言ってくれるのに、頭の中では〈本当は迷惑じゃない?〉と不安がこだまする。
またか…と思われている?
実は迷惑だと思われているかも
もう、私を信頼してくれないかもしれない
ベッドに横たわりながら、スマホの通知が鳴るたびに心拍数が跳ね上がり、休むための時間が、罪悪感で埋め尽くされていく。
なぜ、休むことはこんなにも難しいのだろうか。
休息と責任感のはざまで、擦り減る自分

「休む=周りに負担をかける」という思い込みが、静かに自分を追い詰める。
身体を治すためのはずの時間に、仕事のチャットを開き、進捗を確認し、返信を書いてしまう。
結果、回復は遅れ、また同じ理由で休む悪循環。
責任感という名の鎧を着ているつもりが、実は自分自身を傷つける刃にもなっていた。
少しでも良い。休む勇気を──。

人は誰でも不調になる。それは仕方のないことだ。
自分が休む日、仲間はきっと「困る」よりも先に「任せて」と手を伸ばしてくれているはず。
逆の立場だったら、私も「無理しないで、任せて」と思う。
そこには迷惑ではなく、〈あなたが戻ってくるまで守るよ〉という信頼があるはず。
休むことはチームの歯車を止めるのではなく、長く走るための潤滑油だと思う。
だから今日くらい、通知を切って目を閉じよう。休むことが、今日の最重要タスクだと思おう。
休む勇気は、働き続ける勇気と同じくらい尊いのだから。