

マッチングアプリの「いいね」の基準が、私をもやもやさせる

マッチングアプリを開けば、たくさんのプロフィールが並ぶ。
年収、身長、職業、学歴──。
そこに並んでいるのは、人というよりも“スペック”だった。
もちろん、条件を見るのは悪いことじゃない。けれど、気づけば私はその「数字」や「肩書き」だけで、相手を判断していた。そして同時に、「自分もそうやって判断されているのかもしれない」と思うと、胸の奥がすこし苦しくなる。
誰かの「いいね」は、自分の中身じゃなくて、ただの条件に向けられていたものかもしれない。
本当の私は、どこにも映っていない。
そんな気がして、アプリの画面をそっと閉じる。
条件の海に沈みそうになる

人は、効率を求めてしまう。だからこそ、膨大な人の中から自分に合うパートナーを探すために、スペックでフィルターをかけるのは当然なのかもしれない。
でももし私が、若さや、女性らしさを持っていなかったら。小さな身長や、今の体型を持っていなかったら。
画面の中で“選ばれること”すら許されないのだろうか。そんな考えが、頭をよぎる。
自分を大切にするために条件を見るのに、それがいつしか、自分や誰かを値踏みする“物差し”になってしまっている。
出会いの場で、自分の価値が条件で決まってしまうような気がして、自信をなくしたり、虚しくなったりする。
そんな自分を、私はどこかで責めてしまっている。
「人を条件で判断したくないのに」
「判断されたくないのに」
そう思いながらも、そうせざるを得ない自分がいる。
それでも、心の温度を信じたい

アプリの世界では、見えないものが多すぎる。
人柄も、価値観も、声のトーンも、その人からこぼれる空気感や波長も。
でもだからこそ、出会えたときにふと感じる「この人、いいな」という感覚を、私は信じたい。
条件をまったく見ないなんて、きっとできない。だけど、それだけで人を判断しない勇気も、少しずつ持っていけたらいいな、と思う。
自分が誰かに“スペック”で見られたとしても、心まで奪われてはいけない。
人のあたたかさややさしさは、数字にはできない。
私は、それを忘れずにいたい。そして、同じように考えている相手がきっといるはず。
画面を通した出会いから、一生の恋が生まれることを信じて──。