大人になっても“奇跡の出会い”を求めるのは間違いなのだろうか。

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「夢見るのやめなよ」という呪いの言葉

長く付き合っていた彼と別れた時、同年代の友人や同僚が心配して声をかけてくれた。「いい人紹介しようか?」「街コンとか合コンとか行ってみる?」「どんな人がいいの?」。そんな質問に、私が恋愛に求めるものを話すと、決まってこう言われる。

「もう大人なんだから、夢見るのやめなよ」
「私たち、もうアラサーだよ?恋に夢見てどうするの?」

理性的に結婚相手としての相性を確かめ、安定を求めることが「大人の恋愛」だと言われる。けれど、胸が高鳴り、なぜか涙があふれるような。心の温度がグッと高まるような人を、恋を、求めるのは子どもじみた幻想なのだろうか。

そもそも恋愛や結婚のベースにあるのは、人と人との、胸が高鳴るような出会いなのではないのだろうか。

奇跡のような出会いは、どこかに、必ずある

この広い世界の中で、誰かの存在によって心がギュッと苦しくなったり、その人の温もりに包まれて幸せを感じたり、ただ顔を思い浮かべるだけで生きる勇気をもらえる──。そんな人と出会えることは、たしかに奇跡のような体験だと思う。

でも奇跡のような出会いは、どこかに、必ずある。

星の数ほどの人がいる世界で、自分の体温を上昇させてくれるような、心に明かりを灯すような人が存在しないはずがない。その相手は、まだ出会っていない人かもしれないし、もうすでに出会っている人かもしれない。

大切なのは、その人を見つけるために行動する勇気を持つこと。そして、出会ったときにそれを見逃さない感性を持ち続けることだと思う。

奇跡のような出会いは子どもじみていると心を閉ざしてしまえば、その扉をノックする音さえ聞こえなくなってしまう。生まれていたはずの奇跡のような出会いに気づかない可能性もある。

だからこそ私は、大人になってもこの感覚を大切にして生きていきたい。

奇跡のような出会いに、心を閉ざさないで

「大人なんだから」
「結婚するなら恋は捨てろ」

そんな言葉が“普通”とされる世界。理性的な相性を踏まえた出会いや関係性も、きっと幸せなのだろうと思う。それもひとつの恋の形であることには変わりない。

たしかに、年齢を重ねれば恋愛の形は変わる。生きている期間が長ければ長いほど、経験したことが多ければ多いほど、初恋のような純粋さはなくなるのかもしれない。

でも心が震える瞬間、温かさで満たされる感覚、相手を想うだけで涙があふれてくるような感覚──そんな奇跡のような感情を、美しい出会いを諦める必要はどこにもない。

たとえ、その奇跡のような出会いが実らなかったとしても、きっとその出会いは人生の中の美しくかけがえのない体験として残っていく。そして、その経験が次の出会いへの扉を開くかもしれない。

結婚という形を選んだとしても、日々の生活の中で「ドキドキ」を大切にすることはできるはずだ。朝の寝ぼけた顔に心が和んだり、何気ない言葉に胸が詰まったり。そうした小さな感情の積み重ねが、人生を彩るものになるはずだと私は信じている。

大人になっても、いくつになっても、ドキドキするような恋をしていたい。それは決して恥ずかしいことではない。むしろ、感情を豊かに持ち続けることは、人生をより深く生きることではないだろうか。

「夢見るのやめなよ」という言葉は、誰かの可能性を閉ざす呪いの言葉だ。その呪いから解放されたとき、私たちは本当の意味で「大人の恋愛」ができるようになるのかもしれない。

心を閉ざさずに、奇跡のような出会いを探し続けたい。その先に、きっと私の人生を彩る世界が待っているはず。夢見ることを諦めなければ、きっと奇跡のような出会いが訪れる。そう信じて、歩いていこう。

tomoda

Chief Editor

メディアディレクター・編集者。恋愛も仕事もがんばるフリーランス。