ジェンダーバイアスと小さな違和感。

Edit by ツバキとミモザ編集部

ジェンダーバイアスを感じたのは、いつからだろう。

両親から、「女の子だから」と言われて育った覚えはない。
幼少期、私が黒や青を好きでも、何も言われなかった。

炊事洗濯についても、「女の子だから、家事ができるようになれって言ってるわけじゃない。一人の人として、できないことよりできることが多いほうが豊かだ」と、敢えて言葉を選んでくれていたように思う。

でも、社会に出てからだろうか。教育環境によって根付いたのだろうか。

大きな苦しみはないけれど、小さな違和感は、転がっている。

私は幸いにも、ジェンダーバイアスによって苦しむことが少ない人生だったと思う。

両親、義父母、友人、仕事で関わる方々、私を取り囲むすべての人が、本当の意味の多様性を理解し、相手に配慮して生きている人だと思う。

今の時代、過剰なほど気にしてくれる人もいるし、時代錯誤な発言をする人に出会うことのほうが少ない。
だから、普段の生活の中で、ジェンダーバイアスを受けたことは少なかった。

ただ、時々、見知らぬ人と関わった際に、「ん?」と感じる出来事がある。
その小さな違和感は、次第に膨らんでいくものだ。

例えば、今の旦那と初めて同棲する家の内見に行ったとき。
不動産仲介の営業マンは、旦那の目だけ見て話し、家賃も旦那にだけ確認した。
キッチンの前を通ったとき、やっと目が合って、こう言った。
「3口コンロなんですよ。食洗機もついているので、洗い物が楽ですよ」と。
「いや、私って、キッチンの前にしか人権がない?他の場所では透明人間?見えてない?」と、思った。
さすがに口に出して言えなかったけど、“料理=女性がするもの”という価値観が根付いている人なんだなと思った。

結婚指輪は、男性“だけ”が購入するものですか?

今回は、そんな私の人生で、最近起きたジェンダーバイアスのお話。

先日、結婚指輪を買いに行った。
旦那がプロポーズの時に婚約指輪をプレゼントしてくれたので、結婚指輪は私がプレゼントする予定だった。
そのため、お店についてから記入するものすべて、私名義で記入した。新郎の欄以外、すべて私の名前を記入した。

しかし、店員さんは指輪の金額を電卓で打った後、旦那に向かって「こちらの金額になります」と言った。
キャッシュトレイも旦那の前に置いた。
私は、自分のクレジットカードを載せ、店員さんに渡した。
決済を終えて戻ってきた店員さんは、カードのサインを旦那に求めた。さすがに言葉も出なくて、無言で私がサインした。

なぜ、その店員さんは、旦那が買うと思ったのだろう。
なぜ、私たち2人に向かって、金額を伝えなかったのだろう。
なぜ、キャッシュトレイを旦那の前に置いたのだろう。
“結婚指輪=男性が購入するもの”という価値観が根付いている人なんだなと思った。

それから指輪が出来上がり、2人で受け取りに行った。
出来上がった指輪を見て、美しさに感動した。
しかし、指輪の領収書の宛名が旦那の名前だった。
この前と同じ店員さん。私名義のクレジットカードで、私がお金を払ったことを見ていた店員さんが、笑顔で旦那名義の領収書を渡してきたことに驚きを隠せなかった。
そして、「なぜ、一生身につける大切な指輪をこの人から買ってしまったのだろう」と、悲しい言葉が頭に浮かんだ。
この場所で、一番生まれてほしくない感情だった。

旦那より、3歩下がって歩く気はない。

最近、ジェンダーバイアスについて、よく議論されている。
誰にとっても他人事ではない話。
自分も気づかないうちに、固定概念によって誰かを傷つけていたり、心に違和感を残してしまっているのではないかと思った。

これから先、一人の人としてだけでなく、夫婦としても生きていく。
私は、旦那の陰に隠されていく存在にはなりたくない。同時に、誰かに対しても同じ気持ちになってほしくない。

私は、キッチンの前より自分の部屋のデスクにいる時間のほうが遥かに長いし、結婚指輪も男性が払うものなんて価値観はない。旦那と自分に収入の格差があったとしても同額の家賃・生活費を払うし、家事も完全に分担する。
旦那の3歩下がって歩くより、歩幅を合わせて一緒に歩いていく人生を選択する女性も多いはず。

「料理は女性がするもの」「お金は男性が払うもの」なんてジェンダーバイアスが、ひとつでも少なくなりますように。

 

ツバキとミモザ編集部

TSUBAKI & MIMOZA

「この生きづらい世の中で、本物の幸せを見つける、私のための処方箋」をコンセプトに現代を生きる全ての人に寄り添うWebメディア『ツバキとミモザ』編集部。