「とらわれすぎだよ」。ほんとうに?
「その年齢で恋人がいないなんて」
「正社員じゃないなんて」
「結婚適齢期」
「子どもを産むには何歳までが」
聞き飽きたような言葉を、今日もどこかでかけられる。アラサーと呼ばれる年齢になった途端に降り注ぐ、タイムリミットのような言葉たち。
「気にしすぎだよ」と言われるけれど、私たちは今日もどこかで少しだけ、劣等感を抱いている。
二十歳の成人式以上に、決め事ってある?
20歳の成人式までは、習わし・慣習・行事ごととしての年齢が存在する。20歳以降では、誕生日くらいだろうか。
23歳、結婚・キャリアアップ
25歳、第一子・転職
なんて、そんなふうに決められた型もレールも存在しないし、自由だ。
とっくの昔に終わった成人式以降、私たちはずっと年齢に関わる型がないはずなのに。
それでもやはり、挑戦や勇気をだした私たちを拒む“年齢制限”や“年齢フィルター”はじわりと、確実に、存在する。
キャリアアップ・転職回数・結婚・出産・持ち家・賃貸・貯金・挑戦したい職業・幼い頃からの夢…。
制限がないはずの現代社会で、私たちはいつも年齢を気にして、年齢に囚われた日々を当たり前のように過ごしている。
変わっていく意識、変わらない世界
「年齢は関係ない」「ただの記号」
声高々に発される言葉たちに嘘はないだろう。誰もがきっとそう思っている。心の中では。
それでもやはり「●●歳だから」はいつまでも付き纏う。
変わったのは、私たちの意識・声高に発言できるプラットフォームと、それらに乗っかる商法だけだ。