「変化が怖い」はダメですか?妊娠・出産を自分ごとにできません。

Edit by mayan

子どもは可愛い、だけど。

電車で微笑む子どもを見るたび、友人の子どもを抱くたびに、無邪気な「かわいい」にふれるたび、考えてしまう。

「妊娠・出産なんて考えられないわたしは、おかしいんだろうか」

選択肢のある時代、目の前に敷かれた意識せざるを得ない“世間のレール”

結婚も子どもの有無も選べる時代を生きている。「結婚よりも仕事だ」と「結婚も子どももほしいけど、仕事や推し活が楽しい」も本音だ。

選択肢のある時代に生まれ、生きているのに息苦しい。「選択肢がある」と言いながら、目の前で敷かれた世間のレールはまだ絶大な効力を持つ。そしてその世間の目は、やはり働いて仕事を楽しむ女性には、未だ厳しい。

「結婚は」「彼氏は」「若いうちの方が」

言いたいことはわかるし、間違っていない。若くして子どもを産んだ友人たちを見れば「良いな」と思うことだってある。だけど、それを上回る「他人ごと」感を拭えるだけの何かはまだ見つからないでいる。

奇跡と紙一重、怖いのは痛みじゃない

子どもが生まれることは奇跡だと思う。それは神秘的体験で、人生でもまたとない瞬間だということも理解している。多くの女性が経験して母になり、自分だってその痛みや苦しみから生まれた。

だけど。

わかっているけれど。

それでも怖い。

妊娠出産で変わってしまう環境が、体型が、優先度が、お金の価値観が、大事に「しなければいけない」絶対的存在が増えてしまうことが、誰かの人生を無条件に背負い責任の所在となることが。気軽に手離せないものが、今ここに増えてしまうことが、とてつもなく恐ろしい。

すてられない、手離せない、だけど拾ってはくれない人生

子どもが与えてくれる喜びはあるのだろう。「生まれればなんとかなる」それも間違いではないけれど「なんとかならない例」をたくさんみてきているのも事実だ。

自分の子どもは可愛いかもしれない、でも可愛がれなかったら?会社の仲間は、身内は喜んでくれるかもしれない、でも今のキャリアは戻ってこないでしょう?

フリーランスや副業、事業家・起業家をはじめとして経営者も増えた時代、その一方で派遣や非正規雇用の増えた時代のわたしたち。フリーランスや経営者には育休がない。会社からのお祝い金や、補償もない。すべて私たちが自分たちで「用意しておかなければならない」時間とお金だ。

結婚も子どもも、贅沢だと言われる時代。

捨てられない、手離せない、必死で生きてきた今の環境を。今持っているものを全て持ったまま、子どもを持つことはほぼ不可能だ。私たちには全てを捨てても子どもを手にするだけの度量も余裕もない。

毎日を必死に生きている今、目の前の環境が、自分の体が、相手との距離が、協力し支え合わなければならない日々が何年も続くことが、やはり怖くてたまらない。何度考えても、誰も答えを持っていないことに、今から踏み込めるだけの余裕はないのだ。

mayan

Writer

フリーライター。女性向けトレンド分析などのマーケティングも行う。その豊富で多彩な人生観を活かし恋愛から生き方まで多岐にわたるジャンルを執筆。