変わっていく価値観、目に見えない距離
SNSでの結婚報告、妊娠出産報告をみるたびに友人を失った感覚になる。今までの関係性が壊れるわけではないけれど、確実に変わってしまう距離と価値観に対する寂しさや、「置いていかないでほしい」と感じる自分のわがままさ、独占欲の強さを痛感する。
- 毎週末の予定
- 金銭感覚
- 価値を置くもの
すべてが変わっていく。私たちの関係性が「友達」であることだけは何も変わらないのに。
「大丈夫だよ」「わたしがやるよ」の奥底
ライフステージは確実に変わり、価値観もかける時間やお金もすべて変わる。
仕事終わりに会っていた時間は、家族との時間が最優先。化粧品やちょっとした贈り物は、可愛いものではなく実用性が問われる。ランチや休日に会うときは、子ども席・ベビーカー・お子様メニューの有無を第一に。
仕事のカバー、対人関係の仲裁、気を遣って申し出るあれこれ。
だけどそこで動けるのは、何か負担できるのはこちらだけだ。独り身で、誰にも迷惑がかかるわけでもなく、時間やタイミングを合わせなくてもいい“こちら側”だけだ。
変わっていく周囲と変わらない自分、“こちら側”の葛藤
自分のなかに友人に対する独占欲がこんなにあったのか、と驚くことがある。友人が目をかけるその腕に抱かれた子どもを疎ましく感じることすらある。それらが良くない感情だとわかっていてもだ。
なんでも相談できる友人だった。
恋愛、メイク、ファッション、トレンドや自分達に似合うものを一緒に探した。
くだらない、ささいなことを喜び悲しみ落ち込んだ。
そのステージに私たちはもういない。
彼女たちの優先順位一位は子どもであり、お金をかける対象も子どもだ。
プレゼントも、お茶やランチの場所も、ついついと買ってしまうあれこれもすべて。
一方、私は自分のためにお金と時間を使っている。
どちらも間違っていない、何も悪くない、当たり前のことかもしれない。だからこそ、どこかで変わった価値観が、すれ違った代償が全て孤独感と疎外感へ変わっていってしまったことにも気づいている。
着実に変わるライフステージのその先
私たちが一対一で話していた、過ごしていた時間はおそらくもうしばらく来ないのだろう。
子どもたちが巣立ち、わたしにも家族やパートナーがいるかもしれない未来、そしてそのころにはまたわたしたちは少しだけすれ違う。子どもが巣立った自由な彼女たちと、おそらくちょうど手も時間もお金もかかる育ち盛りかもしれない子どもに追われるかもしれないわたしたち。
共に過ごした時間は嘘ではなくて、それだけの絆が生まれていたことも疑いようがない。だからこそ、少しづつずれ始めた価値観を、受け入れ消化し譲り合い、繰り返していくことでしかないのかもしれない。