自分らしく生きるって、結局どういうこと?
「自分らしく生きよう」と聞くたびに、「自分らしく生きたほうがいいよ」と言われるたびに、何かを否定されている気持ちになる。
いまのわたしは、自分らしくないの?
わたしが選んだ生き方なのに、自分らしくないってこと?
いつからか繰り広げられる「自分らしく」戦争
自分らしく生きることが許された時代にいるわたしたち。生きやすい世界だと感じる人は多いだろうけど、一方で、“生きにくさ”を感じている人もいるだろう。
ネットやSNSに散らばる「自分らしく」すら「他人が決めている」もので、いつまでも「他人からの評価」でしかない。今の会社・今の仕事、人間関係、服、メイク、買い物もすべてわたしが選んで買って身につけているのに、それは「自分らしい」ことではないらしい。
自分らしく、は呪いだ。
キャラクターグッズ好きじゃないでしょ?(ガチャガチャもグッズも大好きだけどな)
パステルピンクより、ギラついた色が好きでしょう?(パステルピンクやパステルカラー、クローゼットに眠ってるけど。)
可愛いものより、かっこいいものが好きだよね?(可愛くてラブリーなものに、目がないんだ)
周りが決めた「私らしさ」は「自分らしさ」とはかけ離れたもので、だからこそもう表に出せないでいる。
キャラクターのグッズを集めれば「どうしたの?急に」
パステルピンクを着れば「●●らしくないよ」
かっこいいものよりも可愛いものを持てば「そんなに頑張らなくても」
求められる自分らしさが、世間から見た私らしさではないことを、たった一言で悟れてしまうほど「自分らしさ」に敏感になっている。
世間に溢れる「自分らしさ」テンプレートとポジティブな暴力
「自分らしく生きる」「自分らしく生きたほうがいい」
ポジティブで、前向きに聞こえるアドバイスは時に暴力になる。ポジティブさゆえの暴力は「良かれと思って」の最上級だ。
世間に溢れる「自分らしさ」はテンプレートとして、ポジティブなアドバイスは暴力として。時々わたしを孤独にさせるのだけど、おそらくそれは、誰にも気づかれていないのだと思う。