踊らされすぎってわかってる。デート・婚活・貯金額…基準がSNSのなかになる前に。

Edit by mayan

カウントダウンが迫る……基準値爆上がりの令和アラサー

「24歳。周りが結婚しているなか、彼氏もいない」というSNSの嘆きを見るたびに、自分の年齢を思い出す。

私は、アラサーになった。

アラサーを迎えた瞬間に感じる焦燥感は、計り知れない。職場の先輩が言っていたことは、本当だった。だって私たち、きっと今すごく「何か」に焦っている。

ハイスペで、顔が良くて、私と一緒に笑い合えて、年収は……。一般的な結婚へのカウントダウンや、周りの結婚報告に喜んだふりをしてポッカリ開いた何かは、みて見ぬふり。

相手に求める基準値だけが年齢とともに上がってしまって、自分の恋愛観を信じることができない夜を過ごしているのだ。もちろん、この葛藤は誰にも言っていない。

いいね数≠正解、SNS vs 現実世界

「行動しないと結婚なんてできないよ」
「その年齢で結婚できない人にはきっと問題がある」
「◯歳なのに、貯金がこれしかないなんて」
「本当にモテる女とは?」
「結婚したいと思われる女になるには?」

そんなことばかり発信されるSNS、読むたびに「これはもしかして、私では?」なんて気持ちになる。

重ね合わせては不安になるけれど、毎回踊らされるのも疲れて、結局SNSからも離れたくなってしまう。

「逃げてもいい」「捨ててもいい」「こんなの、当てにならない」なんて言いながら、私たちはどこかでまだいいね数で可視化されたSNSに自分を当てはめて、しがみついていることを、心のどこかでわかっている。

「初デートでサイゼリヤはありですか?」

SNSを開けば、必ずといっていいほど炎上している話題がある。その一つが「初デートでサイゼリヤはありかなしか」だ。アラサーの私にとって、もはやサイゼは常連どころの話ではない。

そんな身近でお世話になっているお店ですら、炎上の対象になろうとは……。「恋愛に関する話題=炎上の火種」という印象がついてしまうほど、私たちは敏感になっているのかもしれない。

さて、「初デートでサイゼリヤはありかなしか」だが、正直言えば、どちらでもいい。きっと子どもができれば、サイゼはちょうど良い距離感と金額のお店だし、高校生のテスト勉強や放課後のおしゃべりにもぴったりだ。映画の感想を言い合いたいときにも、1人でサクッとコスパ良く終わらせたいランチにも。

けれど、彼女たちが怒っているのはそこではない。「初めてのデートぐらい格好つけて、気概を見せてくれ」と言っているのである。

「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかなんだよ」はもちろん極論だ。だがそれは、対等な価値観のうえでなりたつ、ある意味公式的な関係性を当てはめたからこその答えでもある。

私たちは大事にされたい

極論をいえば、大事にされたいのだ。誰よりも、何よりも、大事に愛されたい。そして、実感したいのだ。「自分は大丈夫」と。

自己肯定感や日々のマインドでは補えないものが、どこかのタイミングで出てきてしまう。それらは悪ではないけれど、善でもない。

可視化された価値観にとらわれるには、あまりにも良いカモだ。

可視化され、炎上した発言に「私はこうじゃない」「私は当てはまらない」を実感し、言語化し羅列された基準に「私は当てはまっているから大丈夫」と安心したい。

それは結婚に限った話ではなくて。大事にされている、自分はしっかりできている、大丈夫という安心が欲しい。アラサー・アラフォーと代名詞がつく頃には、それらを感じ取るにはあまりにも鈍感すぎる。

私たちの大事にされたい願望は、言葉の渦でSNSを網羅し、今日も何かしらの闘争を引き起こしていることだろう。

ただ「大事にされたい」と言えないばかりに。

mayan

Writer

フリーライター。女性向けトレンド分析などのマーケティングも行う。その豊富で多彩な人生観を活かし恋愛から生き方まで多岐にわたるジャンルを執筆。