“アラサー”という代名詞、”結婚適齢期”の呪縛
アラサーになった。「25を過ぎればアラサーの仲間入り」と世間でもいわれるから、すぐに受け入れられる。人生で3回あるとされている結婚ラッシュも、あの疫病がもたらした3年間の空白で何度か体験した。
結婚式に出るたびに、親族や友人が結婚するたびに、心のどこかで「いいなあ」と思っていることに気づく。そして、一方でわかっている。
今の恋人と、もしくはこれから出会うであろう誰かと、そうなれたらいいなと思っている反面、「私は本当に結婚したいのか?」と、どこかで思っていることを。
結婚、正直めんどくさいのは私だけですか?
名字の変更、公的書類の変更や手続き、各種申請や会社への周知、収入周りの管理や育休制度、控除の規定など……。結婚となると、同棲するだけとはわけが違う。
正直言うと、面倒くさい。
どちらかが必ずやらなければならないことだと分かっていても、腰が重くなるのだ。現代の法律において、事実婚では認められる範囲が少ないことも、さまざまな控除や家族認定が降りないこともわかっている。それでもやはり、面倒くさいと感じてしまうのは、悪なのだろうか。
「なぜ結婚しただけでこんなに制限が?」「結婚したら頑張って働き続けることも難しい?」
いまだ女性のほうが名字を変えることも多いし、さまざまな制限がかけられることも多い。働く選択肢は狭まるし、妊娠をすれば一定期間は働けなくなる。面倒ごとがすべて降りかかってくるように感じてしまうのは、やはり女性だけなのだろうか。
”結婚”のリアルを感じざるを得ない、SNSとの距離
結婚への意識が薄らぐなか、SNSの存在を無視することはできない。正直しんどい。見なければ良いと思いつつ、流れてくるのだからどうしようもない。それがリアルだといわれればもちろん、その通り。しかし、夢も希望もなく見えてしまうのもまた事実だ。
- 寝ない食べない子どものこと
- 旦那への愚痴不満
- 義母や義父とのトラブル
- お金に対する不安とため息
幸せな人たちのSNSだってたくさんある。それを超える数の愚痴や不満が目に入るようになっているだけだ。知らぬ間に負の感情は膨らむばかり。それほどまでに、生活感のあるネガティブな発信は、幸せでポジティブな発信を打ち消すほどの威力がある。
「言えないひと言」で、今日も足踏みする
「結婚すれば一人前」という時代が終わりを告げて、1人でも生きていける時代。男性も女性も関係なく、仕事や特技が活かせる時代。私たちの壁になっているのは、凝り固まった婚姻制度だけだ。
恋愛と結婚は別だ、とよくバリキャリの友人が言う。遊ぶ女性と本命は別だ、と彼女を切らしたことのない経営者の友人が言う。
結婚はしたい。できるなら。
結婚はしたい。彼となら。
結婚はしたい。安心したいから。
でも、結婚にまつわるすべてのことがめんどくさい。私たちが足踏みする理由は、ただそれだけなのかもしれない。そう感じながらも、結婚した友人が増えた今、「あーあ、早く法的な婚姻制度や制限、どうにかなんないかな〜」のひと言が、どうしても言えないでいる。