

“愛想よく接する”は私なりの優しさ
笑顔で接してもらえると嬉しいから、自分もそうしたい──。
シンプルだけれど、大切な想いだ。誰に対しても自然に笑顔を向け、距離を縮めようとするのは、相手を知ろうとする努力の証。人を歓迎し、安心させることができるこの“愛想の良さ”は、私自身にとって心があたたかくなる行為で、決して軽い気持ちでやっているわけではない。
生まれつき備わっていたわけではない。生きていく中で、いろいろなことを学び、いろいろな失敗をして、今の私がある。
愛想のよさは、私が人生の中で育ててきた、かけがえのない能力だと思っている。
「チョロそう」だと思われるのはなぜ?

それでも世の中には、愛想の良さを“チョロさ”と勘違いする人がいる。
恋人や配偶者がいるのに誘ってきたり、近づいてきたり。
まだこちらが心を開いていないうちから、ズケズケとパーソナルスペースに踏み込んでくる人もいる。
「愛想よく笑顔を振りまいてるほうが悪い」と言われたこともある。
私がいけないのだろうか?
愛想よく生きるのは悪いことなのだろうか?
時々、愛想のよさを大切にしてきた自分自身を責めてしまう。
しかし、優しさや笑顔を捨てることは、私自身の魅力を手放してしまうことにつながるのではないだろうか。
優しさの裏に、鋭さを抱えながら

愛想がいいからといって、誰にでも心を許すわけではない。大切なのは、自分なりの軸をぶらさず、決して自分を安売りしないこと。
こちらの優しさを軽視するような相手には、時には笑顔を消すタイミングも必要だ。愛想がいい自分を保つためこそ、相手を見極める鋭さと、毅然とした態度を取る判断力を持ち合わせていたい。
人に愛想よく接し、親切にすることは、私自身を高める力にもなる。相手の反応に戸惑うことがあっても、私の優しさはきっと誰かの心を照らし、私自身を豊かにしてくれているはず。
私を軽視する人たちのせいで、手放すにはもったいない。笑顔と、その裏にある真の強さや優しさを大切にしながら生きていこう。