「普通に働くこと」が困難な人生

Edit by ツバキとミモザ編集部

毎朝、同じ時間に起きること

毎日同じ時間に眠り、毎日同じ時間に目を覚ますこと。

毎日同じ時間に身支度をして、同じ電車に乗ること、同じ場所に行くこと。

それがとても難しい。

満員電車も、生活音も、すべてが苦しい。周囲のペースに合わせて仕事することも苦しい。

普通の人が当たり前のようにできていることが、私にはできない。

それが、いつしか自己否定に繋がってしまう。

人それぞれ特性があって、得意不得意があって、生き方がある。

それはよくわかっているつもりでいるけれど、当たり前ができないことが苦しい。

怠けているわけではないのに

最初は、自分が甘えているのか?怠けているのか?と不安になった。

自分を責めて、周囲に合わせようと必死に努力した。

でも、それ自体があまりに苦しくて、大好きな仕事が嫌いになった。

働くことは好き。大好きだ。集中したら、残業なんて概念も忘れて、何時間でも働くことができる。

でも、毎朝同じ時間に出社すること、それだけがどうしても難しい。

自分に合った働き方をすることは、最良の選択

自分に合った働き方を見つけてからは、すごく楽になった。

でも同時に、「苦しさ」「つらさ」「大変さ」を経験している人の方が立派に見えた。

「自分は逃げたのではないのか?」「わがままなのではないか?」と思ってしまった。

周囲と比べて、自分はちゃんとした人間じゃないと思ってしまった。

そんなはずはないのに。誰かに責められたわけではないのに。

毎朝同じ時間に起きて、同じ電車に乗ることが難しいから、その分、在宅で仕事できるように、手に職つけた。必死に勉強して、在宅でも求めてもらえるよう努力した。

でも、この努力は、全くもって苦ではなかった。

素晴らしい選択をしたはずなのに、苦しいことをしないと、成長できないのではないかと、心苦しくなった。

なぜ、成長しないといけないのだろう。なぜ、苦労が美徳とされているのだろう。

このままでも、十分立派なはずなのに─。

自分で自分を納得させること

「社会のテンプレートに合わなくても、それは悪いことじゃない。それは、甘えじゃないよ。」

そう言われても、自分を責めてしまう気持ちは変わらなかった。

でもふと思った。

反対に、人が苦痛だと思うことを、私は難なく取り組むことができる。

人によって得意不得意があることなんて重々承知していたけれど、できないことをできることで補填して生きている。

それも立派な努力であり、成長であることに気づいた。

自分を責めてしまう気持ちは、周囲の人の言葉で解消されることは少なくても、自分で自分に納得感のある言葉をかけてあげられるようになったら、次第に変化し、薄れていくものだと、私は思う。

ツバキとミモザ編集部

TSUBAKI & MIMOZA

「この生きづらい世の中で、本物の幸せを見つける、私のための処方箋」をコンセプトに現代を生きる全ての人に寄り添うWebメディア『ツバキとミモザ』編集部。